
昭和22年8月1日、練馬地区の独立を求める人々の努力が実をむすび、23番目の特別区として練馬区が誕生しました。おおよそ2万年前から、この地域には人が居住していたようです。ここでは練馬区の歴史をひもといてみましょう。
区名の由来
・関東ローム層の赤土を練った所を「ねり場」といった説。
・石神井川流域の低地の奥まった所に「沼」=「根沼」が多かったという説。
・奈良時代、武蔵国に「のりぬま」という宿駅があったという説。
・中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がおり、馬を馴らすことを「ねる」といった説。
などいろいろな説があり、これという定説はありません。
時代は徳川氏の時代へと移り、ダイコン、ゴボウ、イモなどを江戸市中に供給する一大近郊農村として練馬は発展しました。千川上水は、徳川幕府によって元禄9年(1696年)に開発されたもので、当時の練馬の農業にとって貴重な水資源となりました。この当時の練馬の農業は、水に恵まれない土地柄のために農地のほとんどが畑でした。江戸時代中期には、江戸の発展に伴い練馬は、大根、ゴボウ、ナス、イモなどを江戸市中に供給する一大近郊農村にまで発展し、特に大根は、関東ロームといわれるきめ細かい土壌に適し、保存食としてのたくあん漬が根付いたのもこのころであったといわれます。
明治・昭和
明治に入り、明治11年(1878年)の「郡区町村編成法」により、練馬の大部分は北豊島郡に編入されてしまいました。大正12年(1923年)の関東大震災後、都心部から練馬の人口流入が始まり、昭和7年(1932年)に東京市は35区制となり、練馬は練馬区に編入されてしまいました。
そして戦後・・・
第二次大戦後の昭和21年(1946年)、練馬地域の町会長、区議会議員、各種団体長が協議会を開催、練馬区設置を決議しました。1947年3月、東京都は35区制を廃止し、22区制で再スタートしましたが、練馬の人々の運動により、8月に「練馬区」として独立することになりました。(1999年版練馬区史によると、東京都は、22区制制定の過程で、23区制をとることを予定していたとあります。)練馬区は「23区でもっとも新しい区」だったんです。